未来と大樹の関係②。

前回の①では、運命と未来の理論に関して書いてみたのだが
今回は、もう少しざっくばらんに意見を述べてみる事にした。
昔から思っていた事だが、能力者は何故未来視をする事が出来るのか。
である。それはやはり運命として決まっている事だからなのか。
はたまた、未来がすでに決まっているからなのか等。
様々に思いを巡らせたのであるが、今では未来には多様性が
ある事が理解でき、枝葉が分かれるように同時に複数存在する事が
理解出来るのである。
つまりは、現在に置いてどんな選択をするかが鍵となり未来が
決定していく訳である。それだけに現在と言う時間が如何に
大切であるのか理解出来るだろうかと。
しかしながら、人は現在にしか生きられず、未来や過去へは行けない。
であるなら、現在を如何に生きるかこそが人生の鍵とも言えるのである。

通常の人は未来視など出来ない。
しかしながら、未来を想像する事は出来る。
そして、過去に起こった事実から未来を想像する事でおおよその
未来を描き出す事が出来る訳であり、災害などの場合は
準備をする事で、問題を回避する事が出来るのである。
また、おばあちゃんの智恵などの先人の智恵を拝借する事で
身の回りに起こる問題に対処する事ができ、人は過去から学ぶ事で
未来に対応していると言っても過言ではない。

世の中とは面白いもので、未来視が出来る能力者が確実に存在している。
それが予言と言う形で歴史的にも残っているのだけれども
その真贋は謎に包まれている。
私はそう言った能力者が居るとか居ないとか、そういう能力があるとか
ないとか言った事ではなく、どのような論理で未来視を行えるのか。
と考えていたのだが、ある種の結論に至った。
人には現在、過去、未来と3つの時間軸が存在する。
現在はまさに今であり、過去はすでに経験して来た道である。
未来はこれから歩む道にあたるのだが、人の流れは一方通行である。
生まれたからには死が待っている訳であり
未来とへ向って歩いていると言っていいだろう。

今の積み重ねが過去となり、戻る事は出来ないが振り返る事は
出来る訳である。未来は何も決定していないが、今の選択により
徐々に決定して行くと言う具合である。
しかし、この理論だと一つ矛盾が存在してしまう。
そう。未来視に関してである。
現在の選択が未来を決定しているなら、現在の選択をしらない
過去からの未来視は出来ない事となるのではないだろうかと。
まあ、その現在の選択すらも未来視すれば出来るとも言えるのだが
これだと、パラレルワールドのパラドックスに陥ってしまう。
つまりは、平行世界のいくつもの選択枝に未来視を一つに限定する事は
出来ないと言う訳である。例え限定したとしてもその予言は
外れる事となるのではないだろうかと。

しかしながら、多くの予言はかなり良い感じに当たっている。
つまりは、そう言う事ではなく別の理論が存在していると言う事である。

③に続く。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

未来と大樹の関係①。

最近の世界情勢を考えると、何とも予言の通りになっているようである。
イスラム国の台頭から、ヨーロッパの決裂やアメリカの混迷や
日本の大震災に至るまで、すでに複数の予言が示している。
そして、アメリカと中華との戦争開始も、すぐそこに控えている。
私は昔から予言の研究やら、オカルトの研究も趣味でしていて
そこから、運命や未来視に関しても、様々に考察しているのだが
大樹に例えると非常に解り易く解説出来るようである。

植物である樹木は、まずは、種が地面に落ちてから発芽し
根が地中に広がり、双葉を広げる。そして、成長とともに
どんどん大きくなり枝葉が茂り、茎が太くなり、やがては幹となる。
そうして、立派な大樹へと時間をかけて成長する。
根から水分と栄養を吸収し、幹から枝葉に至るまで水と栄養を
循環させ、また、葉から光合成により太陽の光で栄養を
吸収するのである。運命やら未来もそれと似ていて

まずは、地面と根に当たる積み重ねられた過去や経験から
水と栄養に当たる、流れと要素を吸収し幹を通じて枝葉へと
送られる訳だが、その幹に当たるものが運命であるのだと
私は考えている。太く真っすぐに伸びた幹は、未来に当たる
枝葉へと向って吸収した要素が送られ未来が決定している。
枝葉は広がりを見せていて、様々な未来が存在する事を
示しているようである。しかしながら、幹は一つであり
全ての流れはこの幹を通じてしか流れてはいかない。
また、幹の太さや長さは、根の張り方や土壌の栄養により
決まっていて、幹が太くなるのも、木が大きくなるのも
根と土壌次第であるだろう。

そして、根が張り、幹が太くなれば当然にして枝葉は
よく茂り、大きく広がりを見せると言う具合である。
これは、未来がより複雑に広がりを見せて複数の選択此が存在
する事と似ているのである。
また、幹は運命と言ったが、当然にして流れは一つではなく
幹が太くなれば複数存在するものの、その全てはまっすぐに
未来へと伸びている為に多様性を示すものではない。

②に続きます。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

絶望と希望と。

先日、成田山のご縁日に月参りの参拝に行った時の事である。
いつもなら、すんなりと時間通りに行けるのだが
何とも時間を遅らせられているようである。
いつもなら午後1時からのお護摩に参加するのが
我が家の定番ながら、この時は3時のお護摩となった。
かなり時間も空くので、成田のイオンでもぶらぶらと歩くかと
思いきやそれも駄目なようで、まあ、成田山をゆっくりと
歩きながら参拝すれば良いかと思い巡ってみた。

成田山の大師堂は一般の方も外から参拝する事が出来るの
だが、基本、成田山の僧侶の為の修行の場であるようで
あまり、一般の方が参拝している姿は見えない。
なので、私もお邪魔であろうかとあまり足を向けないでいる。
成田山に着くと必ず行くトイレから見えるので
そこから思いを巡らして参拝しているのである。
今回は時間もあるので、参拝しようと思い行くと
何とも、入壇式と言って成田山に僧として入る儀式を
執り行っていた。そして、その瞬間になるほどと思い
お祈りの最中に探りを入れてみた。
若き僧侶の中に私の過去生と繋がる若者が居たようで
うれしくもあり、またこれからの厳しい修行と
現在の成田山の現実に向き合うのだと思うと
何とも言えない気持ちと共に、こんな言葉が聞こえてきた。
「絶望の先にこそ希望がある。」
すぐにわが師、空海和尚の言葉なのだろうと感じた。

そう、私がうん十年前に感じた、僧侶になろうと決意し
高野山と比叡山に行き、どちらの門が私が入るべき門で
あるのかと、色々と思案していた時の事である。
なまじ神感応が強いと、在籍している僧としての才能が
見えてしまい、結局どちらの門も叩く事が出来ずに帰り
絶望の淵に立ってどうしようかと思案した訳であるが
今はその当時よりも酷くなっていると思われる。
しかし、その絶望があったからこその、今がある訳であり
かつてわが師空海和尚も、僧籍を離れて自らを娑門と
称して修行に明け暮れてた歴史があったように。
私も娑門を名乗っている。なので、勘違いしている方も
多いかもしれないが、私はどこの僧籍には入っていないし
修行者であるとは思っているが、いたって普通の生活をしている。

なので、ブログの紹介にもある通りに職業は僧ではなく
WEB職人であるのです。
不動明王の御神意を理解するには、相当の苦労が必要であり
そこには、確実に絶望が待っている。
しかし、人はその絶望を受け入れ乗り越える事で希望を
見出し前に進むのである。
暗闇を恐れずに受け入れ、気持ちを鎮めて心の声に耳を傾ける
そうする事で、心の中に希望と言う一筋の光が現れる。
それこそが、大日如来の光である。
今度はその光と同化して、己自身を輝かせるのである。
その姿こそが、闇と光を併せ持つ「大日大聖不動明王」の
姿なのである。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

憎しみと心の制御法②。

昨日に続きとなります。
憎しみとは、身近であり手が届きそうな場合に
強く現れると言える感情の一つなのです。
そして、それは自らが不利益を被った証拠であり
その対価を払わそうとする強い思いであると言えます。
もし、貴方が憎しみが強いと感じるなら
それはこだわりが強いと言う事でもあるのです。
確かに不利益を被ったと思う場合もあるでしょうけど
相手からすればそれほど不利益を与えていないと
思い、当然とすら思う事もあるのです。
それをこちらが過剰に反応している場合もあると思います。

痛みの感じ方は場所や人でもそれぞれであり
繊細な方ほど、痛く感じて鈍感な人ほど感じないものです。
心の感じ方もそれぞれだと知りましょう。
そして、もう一つ知ってほしいのは
憎しみも心の感情なので、憎しみを持つ事は人として当然であり
自然な姿なのです。なので、その感情はいけないと思わず
それも自分の感情の一つなのだと認めてあげる事です。
そして、その感情を理解して自らが制御出来ればいいのであり
無理に押し殺したり、心に貯めたりしないで
自然に受け流す術を学ぶ事が心の安寧を保つ秘訣と言えるでしょう。

身近である事がより憎しみが現れる原因である訳で
家族や血縁そして、仕事や友人と自らと繋がりのある人達との間で
起こる場合がほとんどです。
何故なら、接触の無い知らない人とは起こりえない
と言えるからです。この性質からある程度の
対処法が想定されます。
おそらく一番の対処法は、問題のある人や職場から
離れる事です。全ての縁を切ると言う事です。
しかし、それがなかなか出来ないからこそ苦労するのです。
私がお勧めするのは、もし体に変調が訪れるようなら
迷わず離れる事をお勧めします。
そうでないと、うつ病になってしまい思わぬ方向へと
向う可能性があるからです。
仕事は辞める事になるでしょうし、親戚などとは
縁を切る事となるでしょうけど、自分の命や体を害する
ような関係を続ける意味はありません。

次にまだ体に変調は来ていない場合は
まずは、リラックス出来る方法を探りましょう。
お風呂に入るもよし、散歩をするもよし
参拝も重要な方法です。朝の瞑想や呼吸法もいいでしょう。
わらいヨガや泣く何て方法もストレスを軽減する事が
出来るでしょう。それでも心に火がついている場合は
体をめい一杯疲労させる事です。
人は、究極的に疲れてしまっては寝る事しか出来ません。
そして、めい一杯睡眠を取りましょう。
これも仕事が忙しい方には難しいのですが
休みの前などには出来ると思われるので
山に登ったり、マラソンをしたり長距離ウォーキングを
したりと体をめい一杯使ってみましょう。
そして、お休みは一日寝る。なんてのもいいでしょう。

体をめい一杯使えない方は、まずは呼吸を変えましょう。
深くゆっくりと息を吐き出し、そして、今度はゆっくりと
長く吸いましょう。それを10分間は行ってみましょう。
はじめはタイマーを使うと良いでしょう。
そして、心が落ち着いて来たら今度は笑いヨガです。
部屋で大きな声を出して笑ってみましょう。
疲れるまで行ってください。人は可笑しくなくても
顔の表情筋がその形になるとホルモンを分泌します。
なので、強引にでも笑うと気持ちが軽くなるのです。
次にめい一杯笑ったら今度は泣いてみましょう。
人生で一番悲しい出来事やそんなイメージを思い描いて
わんわん泣きましょう。泣けるドラマや曲を聴くのも
いいでしょう。涙の成分にはストレス物質が含まれ
排出する効果があるのです。

笑って泣いてある程度すっきりしたら、今度は静かに
座って目を閉じて瞑想してみましょう。
何も考えないのが理想ですが、まず出来ないでしょうから
色々とその日の出来事に感謝する事を考えて見ましょう。
そして、口に出して一つ一つ感謝の言葉を述べて見ましょう。
感謝する事が無い。何て方はいないと思いますが
もし私なら軽く考えても百以上は上げる事が出来るでしょう。
朝起きる事が出来て感謝。朝食を食べる事が出来て感謝と。
家族が健康であり感謝とか。その一つ一つに
「ありがとうございます。」とつけ加えてみましょう。
何に感謝かと言う人も居るでしょう。
それは全てを見守る神様にですよ。
そして、自分をサポートして下さるご先祖様でしょうか。
これこそが、私が提唱する「感謝瞑想法」と言う方法です。

これを続けていくと、恐らくは、感謝の念で涙が溢れてくるように
なるでしょう。自分はこんなにも守られていると。
そして、生かされていると。
ここまで来れば、自らに不利益を及ぼしていた存在にも感謝する事が
出来るのです。ダイヤの原石はダイヤでなくては磨く事が出来ません。
つまりは、自らの輝きを増すためにこそ、困難や障害があるのだと。
そして、ダイヤの輝きが完成の域に達したなら、もう磨き粉であった
屑ダイヤはいりません。当然にして捨てられ離されていくのです。
つまりは、自らの輝きが足りないからこそ困難や障害が存在する。
と言う事なのです。
これこそが神の試しの答えであるでしょうか。
大丈夫です。神は常に神を信じる者の見方です。
神を信じ、己を信じてこそ感謝の道があるのです。
「惟神霊幸倍坐世」

ありがとうございます。
感謝。
和海。

憎しみと心の制御法①。

人は何故憎しみをもってしまうのか。
自分にとって不都合な事や人物から嫌な事をされるから。
また、自分の考えを理解せず否定してくるから。
自分の置かれた境遇が明らかに理不尽であるから。
と理由は様々でしょう。

神なる道に進む方達にも確実に遭遇する問題の一つです。
当然にして、私もその道を通った一人でもあります。
まず、始めに言わなければならない事は
この世界は実に理不尽である。と言う事です。
人がどうする事も出来ない案件がいくつも存在しています。
台風、竜巻、寒波、熱波などの気象現象から(天道)
地震、火山、津波などの地球的な変動現象。(地動)
そして、国やら企業の問題(人動)があるのです。

まあ、天道や地動は避ける事が出来ず予測して準備し
備える事で過ぎ去るのを待つしかありません。
しかし、それでも多くの人達が毎年犠牲になります。
人道に関しても、狂ったお隣の国やら
原発事故のような、行き過ぎた企業の暴走で多くの人達が
理不尽にも迷惑を被る事があるでしょう。
こちらも、一人の人の力ではどうする事も出来ない
問題だと言えるでしょう。
ならば、天気や地震に憎しみの心を向けるのか。
答えは否である。
人はとうていかないやしない。つまりは諦めていると
憎しみの対象にはなり難いと理解するでしょう。
では、国や企業はと言うと対象になりえる。
と言う事です。だからこそ、戦争が無くならない訳とも
言えるでしょうか。
つまりは、人の所業であり身近であればある程に
憎しみがつのると言う事なのです。

これは、宝くじの番号が惜しい方が残念度が高い事に
似ています。手に届きそうだと諦めなれないものなのです。
まず、①では憎しみと言う感情を理解する為に
解説してみました。次にはその憎しみを制御する方法を
書いてみたいと思います。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

自覚する時。

自覚とは。読んで字の如しで自ら覚る事である。
仏教用語にして、自らの事を悉く気が付く事であるだろうかと。
そう、人は己の事をあまり理解していない。
何故に生まれ、何故に死んで行くのか。
何を成して、どうしたいのか。
しかしながら、多くの生を受け輪廻の輪の中から
逃れる事が出来ないでいる。それは何故なのか。
本当は答えを知りながら自覚する事が出来ていないのである。

では、自覚するなら答えを導く事が出来るだろう。
そう。答えはいつも自分の内側にこそあるのだから。
気を鎮め己の心と静かに対話する。
その行為が瞑想であったり座禅であったりする。
そして、外へ向う心を内側に向わせる行為こそが
雲水さんの修行であったり、遍路修行であったりする。
常に人の心は移ろい易く、そして、留める事が難しい。
留める事が出来ると、今度は迷い、悩み、苦悩し
自らの心と格闘する。人は考え続けると無心になるのである。
それは、作用と反作用の影響であるだろう。
そうして、無心の心をつくる事が出来て初めて
自らの心と対話する準備が出来るのである。

日本人は今、自らの事を自覚する時が来ている。
それは、遺伝子に刻まれた神との約束なのである。
自分が何者であり、何を成して何処へ向うのか。
それが、この国の未来を決定する事となるのである。
この国の未来は外国人にはコントロールする事は
出来やしない。何故なら、そう言う太古の神がこの国と
その約束された民を守護されているからである。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

悪意とは何ぞや②。

悪意とはどのように生まれるのか。
それは心に悪心を懐き、悪行を行う事であるだろうか。
人は欲望を膨らませると、人の物でも何でも欲しくなり
奪ってでも、また、騙してでも自分の物とするようである。
現在に置いては、お金がその代名詞となっているが
それは、お金で大概の物が購入出来るからであるだろう。

しかし、お金では買えない物も多く、愛や人の心や
親や友人は買えはしないだろうかと。
また、病気もお金では治す事は出来ない。
これは薬や治療であるのだが、本質的には自分の抵抗力で
治しているに過ぎないからである。
即ち、悪心とは他者に害を与えかねない行いであり
それは自らの身を滅ぼしかねない行為である。
何故なら、作用と反作用の影響でカルマとなって
自らに及ぶ訳である。同じように善意も自らに
作用する行為であるだろう。

悪意は誰に対してなのか。
それは、自分以外に対してなのだろう。
しかし、結果的には自らに返る事になるのである。
と言う事は悪意であろうと、善意であろうと
自分以外の他者に向けられた意識であり行為であるようだ。
では、こんなのはどであろうかと。
現在の社会は競争社会である。
その競争を勝ち抜く為には、他者を出し抜いてでも
勝ち残らねば意味がなく、勝たなければ利益は薄い。
こんな社会で、他者を出し抜き自らのみが利益を
独占する行為は悪意なのであろうかと。

次はこの辺りを論じて見るとしよう。
次に続く。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

悪意とは何ぞや①。

ここしばらく考えていた事である。
人の持つ意識なのであるが、悪意と言っても
どのようなものであるのか。その正体を考える事で
人のありようを考える事になりはしないだろうかと。
つらつらと日々考えていた。
そして、その悪意の正体を掴めば、きっとより良い
魂の形勢に役立つはずであると思っていた。
まあ、意識と言っても、要は行動による所が
大きく、それは悪しき行いであり、何故に悪しき行いなのか
また、どう悪しきものであるかなどを考察する。

そして、悪意の反対には善意なるものが存在し
人の魂を中間にして、悪意と善意がバランスを保っている
姿を思い浮かべていた。
そう、人には誰しも悪意と善意がある。
善意とは、自分の事のみではなく、周囲の人達の事を
考慮して、その人達の為になる行いをする事である。
なので、主に自分の事での行いではない。
であるなら、その反対である、自分のみの為の行いは
悪意となるのか。しかしながら、例えば自分の健康などは
自分で考えて行動しなければ健康は保つ事は出来ない。
であるなら、自分の健康を自分で守る事も悪意となって
しまうではないか。なので、そうではないであろう。
むし歯にならない為に歯を磨く行為は悪意などではない
からである。また、病気の時に積極的に薬を飲む行為も
悪意ではない。

そこで、少々見方を変えてみた。
悪しき行いとされている行為を考えて見た。
まず、犯罪行為は言うに及ばず悪意である。
それは、常に他者の権利を奪い、自らのみの優越の為に
起こす行動であるからである。
そこには、加害者と被害者という構図が成り立ち
法律により裁かれる訳である。
それなら、ごみのポイ捨てはどうであろうかと。
こちらも確かに悪意である。
何故なら、ゴミの処理には誰がが迷惑している。
また、生ゴミなら腐敗臭やら処理も面倒であり
たばこの吸殻なら火事の心配もあるのである。

そして、何に対しての悪であるのか。
自分なのか、国や集団などの組織へなのか。
悪意とはどのように生まれるのか。
次はそこを考察したいと思う。
次につづく。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

空海と言う人物考察①。

本日から、「空海と言う人物考察」と題して数回に分けて
記事を書いて見る事としました。
面白い事にわが師空海和尚から直接指示が来たようで
空海和尚と言う人物を、同行二人を長年続けてきた不肖の弟子
ながら、私の視点から考察してみたいと言う強い衝動があり
書いて見る事に致しました。確かに空海和尚と言えば
司馬遼太郎先生の「空海の風景」が有名なのですが
小説家の創作ではなく、一人の沙門が考察する空海和尚と言う
生身の人物像と、密教的な概念を織り交ぜて、私の観察眼を
駆使して考察してみると言った試みであります。

まあ、私は沙門であり、正式な真言宗の僧でもありませんので
自らの欲求に対してストレートに自分の思いを書いていきます。
ご批判もあるだろうとは思いますが、どうぞご容赦下さい。
そして、その全ては私のイメージであり想像であります。
成否に関しては各々の心に聞いて頂ければと思います。
空海和尚を師と仰ぎ、数十年以上に渡り同行二人を続けてきた
一修行者の戯言と思って頂ければ幸いです。
そして、おそらくはこの文章はある特定の人達の為に
書いていると思われ、その人達に思いが伝わればいいのだろうと
私は考えます。そして、この文章を世に出す事で
更なる出会いがある事と思います。

南無大師遍照金剛。
和海。

まず、空海和尚と言えば、言わずと知れた日本における
真言密教の開祖であり、諸説あるが、真言八祖の8代目と
言われている。インドで起こった密教が中華に伝わり
その教えを受け正式な唯一伝承者として、日本に密教が
伝来された事は多くの人達が知る所ではないだろうか。
しかし、実は彼が地方豪族のお坊ちゃまで、都に勉強に
来たのだが自らその道を捨ててしまい、まずは仏門に入り
やがて山岳修行者となって山野を歩き日々を過ごし
ある日、歴史の表舞台に現れ出て、当時の最先端の交易船で
あった遣唐使船に乗って唐の都に赴いた事はあまり知られて
いないだろう。かなり、無茶苦茶な人生を歩んできた
破天荒な人物なのである。しかし、頭脳は明晰であり
当時の皇太子の教師であった母方の父の阿刀大足に
教育を受けて育ったとある。

空海和尚の母の記述はあまり残っていない為に阿刀大足は
父か兄のどちらかであるとされているが、彼の力によって
都の官職養成の為の大学に入る事になるのである。
彼の父の佐伯氏は地方豪族ながら、現在の香川県善通寺市を
治める現在で言えば市長か知事と言った役職である。
どちらかと言えば、その当時は母方の阿刀氏の力の方が都に近く
力が強かったようであるが。佐伯氏と言えば古墳時代に
大和朝廷から播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の5ヶ国に設置された
国造りの名家であったようである。
ちなみに、現在の広島県の厳島神社の神主家も佐伯氏となっている。

そして、こちらもあまり知られていないが、空海和尚には兄弟が多く
実は7人兄弟の次男であったようだ。

11月18日追記。
※諸説あるが、「三代実録」等によると、空海は8人兄弟姉妹の
第5子と言うのが有力であるようで、一部訂正する。

長男。鈴伎麻呂(すずきまろ)(官職)
次男。酒麻呂(さかまろ)(官職)
三男。魚主(うおぬし)(官職)おそらく子供が「真然」
長女。子供が「知泉」
五男。真魚(空海)
六男。真雅
次女。不明。
八男。不明。

長男と次男と三男は父の仕事を継いで官職となり、弟の「真雅」は弟子となった。
姉の子の「智泉」と四男の子の「真然」もいづれも弟子となり
後の高野山を支えた人物であるようだ。
一方、母方の阿刀氏は物部氏を祖とする一族のようで石上氏とも
同祖のようである。阿刀氏と言えば法相宗の義淵、玄昉、善珠と
言った宗教家を多く輩出し、奈良を代表するお寺の法隆寺や興福寺
薬師寺に至るお寺は全て法相宗の寺である。
つまりは、奈良における仏教界の名家と言った所であろうか。
そんな環境から、少年空海は多くの事を学び、両親の実家の持てる
力を十分に発揮して、仏教的な概念から当時の社会情勢やら
先端技術などを持つ大陸思想までも、存分に吸収する事が出来た事で
あろう。しかし、官職を目指すべく入った大学を中退し24歳で
仏門に入ると、父からは激怒されたようで、その為に「聾瞽指帰」を
書いたと言われている。
そして、実は24歳から31歳になるまでの7年間の記録がなく
また、本人も後に言及しなかった為に行動があまり知られていない。

唯一、一沙門より「虚空蔵求聞持法」を授かり、阿波の大瀧岳
や土佐の室戸岬などで求聞持法を修ましたことが記されている。
特に室戸岬の御厨人窟で修行し霊感を得た話は有名である。
要は四国に戻り、山岳修行をしていたのではないかと思われる。
実は、23歳の時に大和国の久米寺で大日経の一文を見つけて
更なる知識を得るために山野を修行して歩き、やがて本物の密教を
伝承者から学ぶ為に入唐を目指したのではないかと思われる。
それは、遣唐使僧を多く輩出してい法相宗の阿刀氏の情報網なら
当時の唐の状況なども用意に手に入り密教の7代目伝承者である
恵果和尚が長安の青龍寺にいる事を知っていたのではないだろうか。

まずは、その為の様々な準備と、自分なりに大日経で得た知識を
修行を通して実現してみようと試みたのではないだろうか。
とここまでの歴史を参考に、彼の性格を考察するとしてみよう。

②に続きます。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

菩薩の域④。

最終章の本日は、題名にある菩薩の域とは。
どんな領域であるのかを書いて見るとしよう。

まず、③の最後でも書いたのだが、菩薩の域は人の到達する最終的な
状態では無いと言う事である。
つまりは、菩薩から如来へと進化出来る可能性があると言う事である。
であるなら、それは通過点に過ぎずその状態で止まるのか
先に進むのかで分かれ道となるのであろうかと。
まあ、菩薩の域に達するのもかなりハードであり、さらに上と言うと
もう遥か先になってしまうと思われるが、人は何度でも人生を
繰り返しているので、数々の前世で経験してきた記憶の蓄積を
考えれば如来の域にも到達する事は可能だと思われる。
それを実現したのがお釈迦様であり、彼こそが人が始めて
如来となった釈迦如来な訳である。

本題に入るとしよう。菩薩の域とはどんな領域か。
それは、愛を理解し体現した状態であると言える。
愛とは人の持っている情愛とは少々違い。
神なる愛であり、全ての思念を自らの心に投影でき
かつ受け入れて許容でき、自らの心のバランスを保ち
神なる存在に触れる事が出来る状態であると私は考える。
前段でも紹介したように、神に対する帰依全拓と全てを
受け入れて感謝する状態になれば、自ずと愛の源泉が
心の奥底に開かれ、泉のように湧き出すものである。
そして、それは決して枯れる事はなく
多くの人達の心を癒し、周囲に潤いとなり影響を
及ぼし始める事となるのである。
これが菩薩の域の正体である。

そして、その副産物とも言えるのが六仙通の力と言える。
まあ、こちらの方は遺伝子による副産物とも言えるのか
先史文明の遺物でもあるのだろうかと。
つまりは、少々オカルトティックになるのだが先史文明の
宇宙人類の遺伝子の影響であるのだろうと私は考えている。
現在の人類は、遺伝子操作によって生み出された
デザインヒューマンであると思われる。
つまりは、宇宙人類と猿人との交配により作られた存在で
あり、時を重ねて突然変異して現在のホモサピエンスと
なったのだろうと。交配が進むにつれ寿命が短くなり
また、増えすぎる人類を減らす為に癌化する仕組みすらも
作られた節もある。最近の研究でテロメアの修復が
出来る可能性がある事や、癌に対してもイメージ力が
治療に効果がある事なども発見され、人類と言うのは
命が短くなるように遺伝子に設定されていると思う節
すらもある。

まあ、話はかなりそれたが、副産物の六仙通の力とて
我々人類はその遺伝子に可能性を秘めている訳であり
その遺伝子を開く鍵こそが愛の力なのである。
そして、その愛の力を得る事こそが人が生まれ出る
意味であり、人類の役目と言えるのだろう。
我々がその次元の先を行く為に。

ありがとうございます。
感謝。
和海。