空海と言う人物考察①。

本日から、「空海と言う人物考察」と題して数回に分けて
記事を書いて見る事としました。
面白い事にわが師空海和尚から直接指示が来たようで
空海和尚と言う人物を、同行二人を長年続けてきた不肖の弟子
ながら、私の視点から考察してみたいと言う強い衝動があり
書いて見る事に致しました。確かに空海和尚と言えば
司馬遼太郎先生の「空海の風景」が有名なのですが
小説家の創作ではなく、一人の沙門が考察する空海和尚と言う
生身の人物像と、密教的な概念を織り交ぜて、私の観察眼を
駆使して考察してみると言った試みであります。

まあ、私は沙門であり、正式な真言宗の僧でもありませんので
自らの欲求に対してストレートに自分の思いを書いていきます。
ご批判もあるだろうとは思いますが、どうぞご容赦下さい。
そして、その全ては私のイメージであり想像であります。
成否に関しては各々の心に聞いて頂ければと思います。
空海和尚を師と仰ぎ、数十年以上に渡り同行二人を続けてきた
一修行者の戯言と思って頂ければ幸いです。
そして、おそらくはこの文章はある特定の人達の為に
書いていると思われ、その人達に思いが伝わればいいのだろうと
私は考えます。そして、この文章を世に出す事で
更なる出会いがある事と思います。

南無大師遍照金剛。
和海。

まず、空海和尚と言えば、言わずと知れた日本における
真言密教の開祖であり、諸説あるが、真言八祖の8代目と
言われている。インドで起こった密教が中華に伝わり
その教えを受け正式な唯一伝承者として、日本に密教が
伝来された事は多くの人達が知る所ではないだろうか。
しかし、実は彼が地方豪族のお坊ちゃまで、都に勉強に
来たのだが自らその道を捨ててしまい、まずは仏門に入り
やがて山岳修行者となって山野を歩き日々を過ごし
ある日、歴史の表舞台に現れ出て、当時の最先端の交易船で
あった遣唐使船に乗って唐の都に赴いた事はあまり知られて
いないだろう。かなり、無茶苦茶な人生を歩んできた
破天荒な人物なのである。しかし、頭脳は明晰であり
当時の皇太子の教師であった母方の父の阿刀大足に
教育を受けて育ったとある。

空海和尚の母の記述はあまり残っていない為に阿刀大足は
父か兄のどちらかであるとされているが、彼の力によって
都の官職養成の為の大学に入る事になるのである。
彼の父の佐伯氏は地方豪族ながら、現在の香川県善通寺市を
治める現在で言えば市長か知事と言った役職である。
どちらかと言えば、その当時は母方の阿刀氏の力の方が都に近く
力が強かったようであるが。佐伯氏と言えば古墳時代に
大和朝廷から播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の5ヶ国に設置された
国造りの名家であったようである。
ちなみに、現在の広島県の厳島神社の神主家も佐伯氏となっている。

そして、こちらもあまり知られていないが、空海和尚には兄弟が多く
実は7人兄弟の次男であったようだ。

11月18日追記。
※諸説あるが、「三代実録」等によると、空海は8人兄弟姉妹の
第5子と言うのが有力であるようで、一部訂正する。

長男。鈴伎麻呂(すずきまろ)(官職)
次男。酒麻呂(さかまろ)(官職)
三男。魚主(うおぬし)(官職)おそらく子供が「真然」
長女。子供が「知泉」
五男。真魚(空海)
六男。真雅
次女。不明。
八男。不明。

長男と次男と三男は父の仕事を継いで官職となり、弟の「真雅」は弟子となった。
姉の子の「智泉」と四男の子の「真然」もいづれも弟子となり
後の高野山を支えた人物であるようだ。
一方、母方の阿刀氏は物部氏を祖とする一族のようで石上氏とも
同祖のようである。阿刀氏と言えば法相宗の義淵、玄昉、善珠と
言った宗教家を多く輩出し、奈良を代表するお寺の法隆寺や興福寺
薬師寺に至るお寺は全て法相宗の寺である。
つまりは、奈良における仏教界の名家と言った所であろうか。
そんな環境から、少年空海は多くの事を学び、両親の実家の持てる
力を十分に発揮して、仏教的な概念から当時の社会情勢やら
先端技術などを持つ大陸思想までも、存分に吸収する事が出来た事で
あろう。しかし、官職を目指すべく入った大学を中退し24歳で
仏門に入ると、父からは激怒されたようで、その為に「聾瞽指帰」を
書いたと言われている。
そして、実は24歳から31歳になるまでの7年間の記録がなく
また、本人も後に言及しなかった為に行動があまり知られていない。

唯一、一沙門より「虚空蔵求聞持法」を授かり、阿波の大瀧岳
や土佐の室戸岬などで求聞持法を修ましたことが記されている。
特に室戸岬の御厨人窟で修行し霊感を得た話は有名である。
要は四国に戻り、山岳修行をしていたのではないかと思われる。
実は、23歳の時に大和国の久米寺で大日経の一文を見つけて
更なる知識を得るために山野を修行して歩き、やがて本物の密教を
伝承者から学ぶ為に入唐を目指したのではないかと思われる。
それは、遣唐使僧を多く輩出してい法相宗の阿刀氏の情報網なら
当時の唐の状況なども用意に手に入り密教の7代目伝承者である
恵果和尚が長安の青龍寺にいる事を知っていたのではないだろうか。

まずは、その為の様々な準備と、自分なりに大日経で得た知識を
修行を通して実現してみようと試みたのではないだろうか。
とここまでの歴史を参考に、彼の性格を考察するとしてみよう。

②に続きます。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

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