悪意とは何ぞや①。

ここしばらく考えていた事である。
人の持つ意識なのであるが、悪意と言っても
どのようなものであるのか。その正体を考える事で
人のありようを考える事になりはしないだろうかと。
つらつらと日々考えていた。
そして、その悪意の正体を掴めば、きっとより良い
魂の形勢に役立つはずであると思っていた。
まあ、意識と言っても、要は行動による所が
大きく、それは悪しき行いであり、何故に悪しき行いなのか
また、どう悪しきものであるかなどを考察する。

そして、悪意の反対には善意なるものが存在し
人の魂を中間にして、悪意と善意がバランスを保っている
姿を思い浮かべていた。
そう、人には誰しも悪意と善意がある。
善意とは、自分の事のみではなく、周囲の人達の事を
考慮して、その人達の為になる行いをする事である。
なので、主に自分の事での行いではない。
であるなら、その反対である、自分のみの為の行いは
悪意となるのか。しかしながら、例えば自分の健康などは
自分で考えて行動しなければ健康は保つ事は出来ない。
であるなら、自分の健康を自分で守る事も悪意となって
しまうではないか。なので、そうではないであろう。
むし歯にならない為に歯を磨く行為は悪意などではない
からである。また、病気の時に積極的に薬を飲む行為も
悪意ではない。

そこで、少々見方を変えてみた。
悪しき行いとされている行為を考えて見た。
まず、犯罪行為は言うに及ばず悪意である。
それは、常に他者の権利を奪い、自らのみの優越の為に
起こす行動であるからである。
そこには、加害者と被害者という構図が成り立ち
法律により裁かれる訳である。
それなら、ごみのポイ捨てはどうであろうかと。
こちらも確かに悪意である。
何故なら、ゴミの処理には誰がが迷惑している。
また、生ゴミなら腐敗臭やら処理も面倒であり
たばこの吸殻なら火事の心配もあるのである。

そして、何に対しての悪であるのか。
自分なのか、国や集団などの組織へなのか。
悪意とはどのように生まれるのか。
次はそこを考察したいと思う。
次につづく。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

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