禊の本質とは②。

まずは、①の答え合わせから書いていく。

質問。穢とは何処に付くものなのかと。
答え。魂である。

質問。穢れた状態とはどのような状態なのかと。
答え。魂に曇りが入る状態である。

質問。穢れが浄化されるとどのような状態となるのかと。
答え。魂が清浄つまりは透明になった状態である。

となるのである。
人は生まれながらにして魂は清浄である。
魂は水晶玉のように無色透明でありすき通っている。
そこに邪念などがあると段々曇ってきて、その曇りの元が
穢れと言う状態なのである。
そして、禊とはその穢れを落とす行為であるのだが
何も水に入らずとも良いのである。
魂の状態を透明にすればいい訳であり、瞑想や作務である
掃除をすれば良いのである。
部屋や場所を掃除している内に自らも浄化されていくと
言った具合である。適度に汗をかきながら運動する事でも
同様の行為が得られるのだが、掃除していると言うイメージが
重要であり、それにより魂が清浄になると言う具合なのである。

そして、最後にでは何故禊が必要であるのかと。
つまりは魂の清浄化が必要なのかと言えば。
それは、神様との交流には必要不可欠なのである。
神様との交流は不浄な魂では交流する事が出来ない訳なのである。
そうなると、現在の神職やら僧侶では灌頂と言う行為自体が
難しいと言う事となるのである。
だからこそ、依り代となれる人が居ないと言う具合なのである。
まあ、これも技術的な問題であり、教科書などの書物では
一切学ぶ事の出来ない事なのであるからなのかと。
そして、この禊の本質が理解出来ていなければいくら
水業やら禊を行ったとしても魂が清浄化される事はなく
神様の望む魂の透明さにはならないと言う具合なのである。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

禊の本質とは①。

最近はどうも、コロナ関連の記事が多いので何ともである。
なので、本日は趣向を変えて神様関連の記事を
書くことにしました。

先日、友人との会話の中で禊に関して話す事があり
本質的な部分の認識が抜けているのに気づいた。
つまりは、禊は何故行うのか。またどんな効果が
あるのかをあまり理解していないのである。

WIKIでは。以下引用。(Wikipedia-禊から)

禊(みそぎ)は、罪や穢れを落とし自らを清らかにすることを
目的とした、神道における水浴行為である。
不浄を取り除く行為である祓(はらえ)の一種とされる。

引用終了。

まあ、一般的には参拝前に手水舎で手を清めるのも禊の
一つとされているし、入浴も同じくである。
昔の衛生概念の違いから神の社に入る前に体が臭く汚い人が
多かったゆえであり、西洋ではお香を炊いたりして
匂いを誤魔化していた訳である。
特に神職や神様に関わる仕事をしている方には
必要な所作とされているのだが、どうしてかと。
答えは比較的簡単なれども、その実が理解していないのが現実である。
ちなみに、私の周囲の方達にも聞いて見たが、やはりと言うべきか
言葉にする程には理解していない。つまりは人には説明出来ない。
腑に落ちていない状態であった。

一般的には、神様はお賽銭や寄進すれば何でもお願いを
聞いてくれて神頼みをすれば何でも叶えてくれるとでも思っている。
また、神社や仏閣に参拝すれば、清浄な気分となり何とも
清々しい気持ちになるので心が洗われた、つまりは浄化した
と思っている。まあ、少しは浄化が行われて魂が軽くは
なるのだが、ひどい汚れは洗濯でも落としきれないと
言う具合ではないだろうかと。
そして、一般的に禊と言えば心身に付いた穢を落とす為に
行う行為だと思っている。確かにその通りなのだが
では、穢とは何処に付くものなのかと。
そして、穢れた状態とはどのような状態なのかと。
また、穢れが浄化されるとどのような状態となるのかと。
この事をしばらく考えてみるといいだろうかと。

②に正解を書いてみます。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

1.恐れと敬いと祈りと①。

先日の記事で書いた失敗に関する事なのだが
私が長年に渡って考察していた事についに終止符が
打たれて理解が出来た訳であるのだが、その事で
多くの謎が解けて行ったので三回の連載として
書いてみる事としよう。

まず、考察の内容としては、何故人は恐れを抱くのか?
である。それは肝心な時に人は途端に臆病になり
本来の実力や能力が発揮出来ない何て話は良くある事である。
失敗を恐れたり、マイナスイメージを持ってしまい
先に進めなくなる。何て記憶は多くの人が持っている事だろう。
その克服法としては、自らを奮い立たせて勇気を持って
事に当たる事や、何度も反復して少しでもミスを少なくして
成功を勝ち取る事や、成功するイメージを何度も頭の中で
描くメージトレーニングして、脳に恐れを抱かせなくする等など
方法は昔から考察され多々あるのである。

そうして、人は自らの恐れや臆病な心と対峙し、恐れをねじ
伏せる事で前に進んできた訳である。
また、人は経験を積んで来るとそんな勝負にも似た事が
あたり前となり、大きな舞台でもあがらなくなるのである。
つまりは、反復し経験を積む事で、自らの本当の実力を
発揮し易くなる。と言った感じであろうかと。

しかしながら、そんな強者ばかりでないのがこの世の中なのであり
多くの人達が自らの恐れと闘っていると言うのが現状なのである。
私は昔より少し周囲の子供達とは違っていて、どちらかと言うと
かなり無謀でやんちゃな子供であったようだ。
人一倍の正義感もあり、曲がった事は嫌いな性格であった。
なので、理不尽な理由があれば自分よりも大きな年長さんに
喧嘩を挑んで行き傷だらけになりながらも、負ける事や恐れを
抱く事なく果敢に挑んでいた。

また、成人してからは修行と称しては、一人で深き山の中に
入ってはかなり危険な事でも淡々とこなしてしまい、それゆえ
死にそうになった事も多々あるのだが、それを止めようともせずに
果敢に挑んで行くと言う性格ゆえ、あまり弱者の気持を理解する事が
出来ずにいたようである。
また、修行に入る前には自らは死んでいると認識する事で
恐怖からは逃れていた、つまりは意識する事がなかったようである。

まあ、今から考えれば上杉家流の考え方であったようであるのだが。
それだけに、恐れに関してはどうも理解が進まないようであった。

次に続く。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

良源和尚の人物考察③。

最後に誰も語らないであろう良源さんの能力に関してである。
彼の功績に関しては②で示した通りである。
まさに八面六臂の活躍で、荒廃した天台宗比叡山延暦寺の
建て直しがなされたのだが、彼には優秀な弟子と友人が
居たのでこれも紹介しようと思う。

まずは、彼の直弟子の源信である。
源信さんは法然、親鸞に多大な影響を与えた人物である。
恵心僧都(えしんそうず)と呼ばれる彼の功績は
まさに我々が現在唱えている「南無阿弥陀仏」に他ならない。
また、往生要集(おうじょうようしゅう)と言う彼の著作は
極楽浄土と言う概念を後の人々に知らしめた事である。

また、陰陽師で有名な安倍晴明とは同じ時期を生きていたようで
921年から1005年と。
歴史的には繋がりは見られないが、宮中やら天皇陛下の外戚とも繋がりもあり
確実に交わっていたであろう人物である。
そして、おそらくはお互いの能力に関しても興味があったであろうかと。

さてさてと、解説に移るとしよう。
まず、良源は確実に巫術に長けていたようである。
つまりは御札を使った技である。
念を組み込み御札を魔除けの札へと変えて、その影響で防御するという
技である。次におみくじは占いの発展版として
神様に伺いを立てる事で、より詳しい未来の状況を知ると言う
技であるだろうかと。これにより完全な神依りの御神託で
なくとも、ある程度の未来予測は可能となるのである。
平安時代はどうも怨霊の類が多く出ていたようなので
この頃の魔除けの札は民衆にはありがたかったに違いないだろう。

そして、巫術が出来るなら結界術となるのだが
以前に比叡山の横川に行った際には確実に結界が貼られていて
それが千年以上も続いていた代物である事を確認している。
つまりは、そんなに強い念を組み込む事が出来たと
言う事である。
民衆の為に尽力し、その道が比叡山を立て直す事が出来ると
知る素晴らしい人物である事が伺えた訳である。
丁度、今はその良源さんの弟子の源信さんが没後千年だそうだ。
さてさて、これからどんな時代になるのやらである。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

良源和尚の人物考察②。

①では良源さんの一般的な事を書いてみたのだが②では
彼の凄い功績に関して書いてみる事とする。
代表的な物としては、おみくじの元祖であると言う。
今、世間で神社や仏閣に参拝の折に引いているおみくじである。
ちなみに、本来のおみくじは本人が引くのではなく
修行をした僧が引く事になっており、現在も比叡山横川にある
元三大師堂には一回千円のおみくじがあり
僧侶が引く人の様々な悩みを聞いてからおみくじを引くと言う
スタイルのようで、神様に祈りを捧げてから答えると言う
仕組みのようである。
ちなみに本当に悩みがある人のみと言う張り紙があるには少し笑える。

また、厄除け札である角大師の御札である。
一般大衆に向けての魔除けの札を言う物を広めたのも
良源さんの功績と言えよう。
当時の最高権力者層にも働きかけをして、天皇陛下の外戚である
皇后の父の支援を得て消失した堂塔を再建したり
荘園を寄進してもらい寺の荘園を広げて行き財力を確保して
各種伽藍などの建築物を立派にしていったようである。
他方では僧のレベルアップの為の学問の奨励や規律にも
尽力して僧団としての地位を向上した訳である。
また、僧兵を組織した事も、敵が多かったなどと言われているが
実はそうではなく、この頃の比叡山は良源さんが一般参拝者の
目線を持った寺院経に当たっていた為に、一般の参拝者が多くなり
それを狙った盗賊やら野党の類に対抗する策としての
意味合が強かったと思われるのである。
まあ、後に悪しき慣例となってしまうのだが、その頃には
必要であった訳である。

権力者層だけでなく、一般の参拝者に対しても門戸を開き
おみくじやら魔除けの御札やらと、心憎いサービスを
していたので、一般の民衆にはかなり支持されていたようである。
実に経営的なセンスのある僧侶であったようである。

最後に彼の持つ能力に関して解説してみるとしよう。
③につづく。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

良源和尚の人物考察①。

本日より良源和尚に関して書いて見る事とした。
なかなかに面白い出会いがあり、非常に興味を持った人物である。
私は密教行者ながら、真言宗の事は知っていても天台宗に関しては
あまりに知らない事が多いので今回はいい機会となったようである。
あまり知られていない人物ながら、その能力とご活躍を考えると
とても面白い人物であるといえるだろうかと。
さてさて、前置きはそれ位にして本題に入るとしよう。

良源和尚は912年10月15日生まれの現在の滋賀県長浜市の人である。
豪族の木津氏の子弟で幼名は観音丸と言う。12歳で比叡山に登っている事から
家督争いに巻き込まれる可能性があったのだろうかと。
後に、「慈恵大師(じえだいし)」や「元三大師(がんざんだいし)」と言う
名で呼ばれるようになった。
比叡山延暦寺の中興の祖と言われ、18代目の天台宗のトップとなった人物である。
ここまでが、よく知られている彼の履歴であろうかと。
しかしながら、良源と言う名を聞く事はあまり無く関西の一部の地方で
しか有名では無い人物と言えるだろうかと。

そもそも、比叡山延暦寺の天台宗の僧と言えば、まず初めに思い浮かぶのは
日本の天台宗を作った最澄であろうかと。
822年に亡くなり、その百年後に良源が比叡山に入った訳であるが
その時はすでに根本中道をはじめとする多くの堂塔が失われていて
かなり荒廃していたようである。それを立て直したのが良源と言われていて
中興の祖と言われるようになった訳である。
しかしなばら、その名はあまり知られていない。
一般的によく聞く人物としては、法然、親鸞、日蓮などの鎌倉時代に
活躍する天台宗から独立して自分の宗派を打ち立てた人物であろうかと。

とまあ、天台宗の中でもあまり人気が無いのであるが
実は良源さんはかなり凄い人物であるのである。
②ではそんな彼の凄さを解説して行こうと思う。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

知恩報恩である②。

昨日の続きである。
ヤフーニュースの記事の続きにはアナウンサーの逸見ご一家の
事が書いてあった。
お盆休みに実家への帰省の為に123便に4人で乗ろうと
したそうだが、席は満席であったと言う。
逸見氏は普段から逸見のごろ合わせで123と言う数字に
こだわりがあったようで、その便に乗るつもりであったようだ。

しかし、奥様は霊感があったと言われる実母に
予約が取れない事を話すと、家族4人で飛行機に乗って
事故にあったらどうするんだ。と言う言葉を聞いて
頑固で意思を曲げない旦那さんを、新幹線の方が安いから
と諭したと言う。

おそらく一人でなら予約出来たかも知れない。
家族が墜落事故を知ったのは、実家についた時だったと言う。
現在なら、新幹線より飛行機が安い位なので
どうなる事やらである。
そして、同じ日に同じ時間帯で同じルートで今度は
全日空機が機体不良で羽田空港に引き返したと言う。
同じく大島上空でのトラブルとの事と
奈良では小型機が墜落事故と、何ともお盆の空には
どんな魔物が棲んでいる事やらと。
お盆時期には霊道が開いて、多くの祖霊が自分の家に
帰ると言う、そんな行列に干渉したのかと思う訳だが
全日空機は無事に羽田に着陸出来たようだ。

テレビでは散々中の様子を放送していたが
飛行機が羽田に帰るとアナウンスが流れると「エー」と
言う女性の声が聞こえていたが、自分が無事に現世に帰れた
事を理解していなのか、何ともであった。
どんなに安全性が高くなったとはいえ。
飛行機は落ちるものである。乗るには覚悟が必要で
私が飛行機が好きでない理由のひとつでもある。

触らぬ神に祟り無し。
まあ、お盆時期には乗らない方が無難であろうかと。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

知恩報恩である①。

8月12日に墜落事故があった日航機墜落事故の件で
ヤフーニュースに記事があった。
事故になるはずの航空機をキャンセルして回避した人物が
いるようで、その有名人として、アナウンサーの逸見氏と
シャープの元副社長の話を書いていた。

中でもシャープの副社長は2度の飛行機事故を回避した
人物のようで、その人物の好きな言葉として
「知恩報恩」が語られていた。
言葉の意味は、恩を受けている事を知り恩に報いる事をいい
日蓮さんは四恩を知って報恩感謝する事を自らの著書「開目抄」
で説いています。
四恩とは即ち「父母の恩」「一切衆生の恩」「国主の恩」「三宝の恩」
事であり、両親に対する恩と自分以外の人達がいるからこそ
国として成り立ち、食べ物や生活が潤う事が出来
国の柱となる人物や国があるからこそ、生活が成り立つ訳である。
最後に三宝である、仏、法、僧の根幹である仏の存在が
あるこらこその仏の救済に感謝せねばならないと結んでいる。

副社長はシャープの中でも事業の根幹を担う重要人物であり
電卓、真空管、半導体、液晶、太陽電池と数々の事業に関わってきた。
企業だけでなく人類の発展に貢献してきた人物である。
日航機の時は仕事の関係でキャンセルしマレーシアの時は
早く着いても誰も迎えが居ない事で大臣の誘いを断ったと言う
具合であったようだ。

私は常々思っているのだが、人の生き死には神がその権限を
握っていると言う事である。つまりは神の匙加減によって
それが決定すると言う具合である。
まあ、本来、人の生き死ににはちゃんとした意味があり
死が悪い訳でもなく、生がいい訳でもないのだが
やはり、そこは人であり、折角授かった生なので希望が
絶たれる形での死は誰もが望まぬ所だろうかと。
戦時中ならいざ知らず、現在の平和な世なら尚の事であろうかと。
だからこそ、月に一度は必ず神社や仏閣に参って神仏に祈る
事が肝要なのである。転ばぬ先の杖ならぬ、日ごろの信心こそが
そう言った不慮の事故に対する処方箋なのである。
神はそれが運命と解っていながらも、危険を知らせ回避させたいと
考えるからである。それをどう受け取るかが人の行いやら
選択を大きく変える要因があるのである。

もし、あの時、仕事の話を断っていたなら。
もし、あの時、大臣の誘いに乗っていたら。など。
仕事に真面目で一途であるからこそ、お盆休みにも関わらず
仕事を優先させ助かった訳であり、また、通常なら大臣の
誘いを断ってまでも便を変えたりしないのだが
迎えに来る人達を心配させまいと思ったのか急激なスケジュールの
変更はしなかったと言う具合であろうかと。
そして、最後は知恩報恩なのである。
自分は生かされている。
だからこそ、精一杯感謝の心で生きて見る。
これぞ「かんながらたまちあえませ」なのである。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

空海と言う人物考察②。

二回目は①の続きで少年空海の性格を考察してみるとする。
すこし、期間があいたので、こちらを見ると良いだろう。
空海と言う人物考察①

まず、彼の家は両親ともに名家であった。
生活環境は裕福であり、兄弟も多いが五男というポジションであり
家を継ぐ必要は無く自由に自分の思った事に専念出来る環境であった。
兄や姉がいて、弟としても可愛がられ
また、弟や妹がいて面倒見の良い兄としての側面もあったであろう。
姉の子で、長年連れ添った弟子である「知泉」が亡くなった時の
「達嚫文」にそんな彼のやさしさが込められている。
また、かなりの母思いの性格で、京都の東寺で貫主をしていた時には
その敷地に母方の守り神である石上神社を建てて、別棟に住まわせ。
また、高野山の時には女人禁制の為に、麓の神社に庵を建てて生活の
全般の面倒を見ていた程である。御山に居る時には年老いた母の
為に忙しい中、毎日のように麓まで足を運んでいたと言う
弟子の記録がある。

そうして、多感な少年時代を過ごし、都の大学へと進学する事からも
教育熱心な両親であった事が推察され、母の実家の権力と財力すらも
頼みとする位に、空海少年には期待されていたのだろうと思う。
まあ、それ位に周囲を期待させる程の能力の高さだったのだろうか。
14歳の頃に都に行き、優秀な叔父から様々な教育を3年間受けて
大学の明経科(行政を学ぶ所)に入学したようだ。
しかし、3年間の母方の仏教家系の人達と接する事で、仏教的な
知識や経験が身に付き、また本来、母方の家系が持つ宗教者としての
遺伝子が開花したのだろうか。
おそらく、母親は親戚一同の行動を見ていて、幼き空海少年の中に
宗教者としての才能を感じていたのだと思う。
何故なら、自分の血筋への理解と、血は争えずそこはやはり
空海の母なのである。ある種の霊的才能があったとしても
何ら不思議ではない。実際に遺伝子に置いては親子や兄弟は
同じような能力を持つ事があり、霊性に関しても同じと言える。

であるなら、多くの宗教者を輩出した名門である阿刀氏の
遺伝子がそれを物語っていると言う事である。
少年空海も幼き頃から、様々な事への興味と探究心を持って
大胆に行動する少年であった事だろう。
折角両親が敷いたエリートコースの道すらも、簡単に捨ててしまい
自らが求める道を大胆にも選択する勇気と行動力。
そして、彼は何でも自らでやってみると言う性格なのである。
一人の沙門から授けられた「虚空蔵求聞持法」を熱心に試した事だろう。
そして、両親を説得する為に書いた「三教指帰」と、自らが求める
宗教者としての道を進む為には、反対する両親や兄弟を文章で
説得する姿勢も実に真摯であると言える。

そうして、歴史の表舞台に登場する間に、始めは近畿の山々を
そして、故郷である四国の山々を歩き回り修行したに違いない。
正式な僧となったのは、遣唐使船に乗る少し前の30歳の時と
言われているが、実は空海には「教海」「如空」と名前を
二度程変えている。最終的には「空海」となったのだが
よく言われている、高知県室戸岬の御厨人窟(みくろど)で
悟った時の風景が空と海だったから「空海」と言われているが
それはおそらく違うだろうと思われる。

はじめの名と次の名を足して割れば「空海」であり
奈良の大安寺の首座だった勤操(ごんぞう)に連れられて
和泉国の槇尾山寺で剃髪して沙弥戒を授けられたとある。
何と勤操は秦氏の一族であるようで、後の秦氏との親交は
有名である。私が考察するに、海は「真魚」から来ているの
だろう。大海を自由に泳ぐ魚。そして、それを包み込む
広大な海。そして、空は尊敬する「不空三蔵」から来ている
のだろうと思われる。空海の誕生日が不空の命日と
言われていて、空海本人もそれを知り意識しているようで
あったと言う。真言密教寺院の仏像の配置を見るに
常に不空へのオマージュを感じるのは私だけではないだろう。

不動明王と愛染明王の配置。そして、金剛峰寺と言う名は
『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』
と言うお経の名から付けられたもので、このお経こそが
愛染明王のお経と言う事になるのです。金剛智三蔵の作なのだが
その訳は弟子の不空三蔵であった。

③につづく。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

未来と大樹の関係③。

①と②で様々な推察をしてきたが予言や未来視は何故当たるのか。
その結論とも言うべき答えなのだが、結論から言うと
未来と言うのは、大樹のような存在であると思われるのである。
それは、現在と言う事象の蓄積から、過去と言う養分が発生して
その養分を根本と言う因果の根から吸収し、幹と言う根幹を通して
枝葉と言う未来に養分が送られる。
そんな働きや動きのように未来は決定しているのだろうかと。
だからこそ、過去と言う養分が良質であればある程に幹は太くなり
枝葉は茂る訳である。つまりは、未来の選択肢が増えるのである。

しかしながら、根幹は太く確実なものとなるのだが
流れは太く幅があるものの一つである。
つまりは、枝葉は千差万別ながら、ある程度の流れは決まっている
と言う事なのだろう。これこそが、未来視や予言の正体なのでは
ないだろうかと。
優秀な能力者はいくつもの違う未来を見ると言う。
しかしながら、おおよその未来は変わらない。
まあ、確かに千年単位の大地震の周期は変わらないと言う訳で。
多少の誤差はあるものの、確実にやってくる訳である。
しかし、その時の人達の準備や心持ち一つで被害状況は
如何様にも変化するゆとりがあるのである。

また、この理論は我々の人生にも当てはまる見解である。
自分の未来は決定するのは、自分の今の選択である。
過去と言う蓄積こそが、今の自分の礎となり未来を決定してく。
つまりは、現在こそが一番に重要であり、その積み重ねこそが
自分の未来を決定していると言う事なのである。
なので、未来を創るのも自分次第と言う訳である。
確かに突発的な事故や病気もあるのは事実である。
病気は普段の生活習慣で防げるものの突発的な事故は
なかなか防ぐ事は出来ないだろうかと。
しかしながら、これすれも防ぐ方法がある。
神と言う存在に身を委ねる事である。
神の守護とも言うべきか。では、何故神の守護が突発的な
事故すらも防ぐ事が出来るのかと言うと。

それは、神は人が未来を創造する手助けをしている関係上
未来を見通す力や変化させる力もあるのである。
つまりは、管理者な訳であり、全ての決定権を持っているのだろう。
だからこそ、大きく変化される事すらも出来るがあまり干渉は
しないのが神なるルールであるのだろう。
しかしながら、神も自らに帰依する人達を常に救いたいと思っている。
だからこそ、あの手この手で知らせようとメッセージが降りてくる。
と言う具合である。しかし、直接的に伝えてはいけないルールが
あるようで、かなり回りくどい方法を取るのだが
慣れてくれば、何を言いたいのかが理解出来る訳である。

未来を決定するのは現在の自分の努力次第である。
そして、どんな種を蒔こうと確実に果実は成り自らで食べねばならない。
未来は決定している領域と決定していない局所が存在し
どこに行きつくかは決まってはいないパラレルワールドである。
しかし、過去の蓄積から未来の根幹は作られ一つの
方向へと向かって流れて行っている。
そして、光の方向へと広がり光が当たるのを待ち構えているのである。
そう。無数の未来が広がっているのである。

ありがとうございます。
感謝。
和海。