1.恐れと敬いと祈りと①。

先日の記事で書いた失敗に関する事なのだが
私が長年に渡って考察していた事についに終止符が
打たれて理解が出来た訳であるのだが、その事で
多くの謎が解けて行ったので三回の連載として
書いてみる事としよう。

まず、考察の内容としては、何故人は恐れを抱くのか?
である。それは肝心な時に人は途端に臆病になり
本来の実力や能力が発揮出来ない何て話は良くある事である。
失敗を恐れたり、マイナスイメージを持ってしまい
先に進めなくなる。何て記憶は多くの人が持っている事だろう。
その克服法としては、自らを奮い立たせて勇気を持って
事に当たる事や、何度も反復して少しでもミスを少なくして
成功を勝ち取る事や、成功するイメージを何度も頭の中で
描くメージトレーニングして、脳に恐れを抱かせなくする等など
方法は昔から考察され多々あるのである。

そうして、人は自らの恐れや臆病な心と対峙し、恐れをねじ
伏せる事で前に進んできた訳である。
また、人は経験を積んで来るとそんな勝負にも似た事が
あたり前となり、大きな舞台でもあがらなくなるのである。
つまりは、反復し経験を積む事で、自らの本当の実力を
発揮し易くなる。と言った感じであろうかと。

しかしながら、そんな強者ばかりでないのがこの世の中なのであり
多くの人達が自らの恐れと闘っていると言うのが現状なのである。
私は昔より少し周囲の子供達とは違っていて、どちらかと言うと
かなり無謀でやんちゃな子供であったようだ。
人一倍の正義感もあり、曲がった事は嫌いな性格であった。
なので、理不尽な理由があれば自分よりも大きな年長さんに
喧嘩を挑んで行き傷だらけになりながらも、負ける事や恐れを
抱く事なく果敢に挑んでいた。

また、成人してからは修行と称しては、一人で深き山の中に
入ってはかなり危険な事でも淡々とこなしてしまい、それゆえ
死にそうになった事も多々あるのだが、それを止めようともせずに
果敢に挑んで行くと言う性格ゆえ、あまり弱者の気持を理解する事が
出来ずにいたようである。
また、修行に入る前には自らは死んでいると認識する事で
恐怖からは逃れていた、つまりは意識する事がなかったようである。

まあ、今から考えれば上杉家流の考え方であったようであるのだが。
それだけに、恐れに関してはどうも理解が進まないようであった。

次に続く。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

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