道徳とは。

本日、新聞の広告を読んでいて何とも触発された。
それは、大御所漫才師の出版した本の広告を読んだからである。
新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか。
と言う本である。
まあ、本の宣伝と文節のタイトルだけで全てを読んでいないので
何とも言えないのだが、改めて道徳とは何ぞやと自らに問う必要が
あるのであろうと、調べて書いてみる事にした。

まず、始めに著者である大御所漫才師に果たして道徳を語る事が
出きるのかは、甚だ疑問である。フライデー事件を起こして罪を犯し
妻子が居るにも関わらず、浮気三昧の過去がある彼にである。
そして、タイトルにもある通り、いい事をすると気持ちがいいと
善行と快楽を同じ土俵で語る辺りに何とも道徳の本質が
まるで理解されていない事に気づく。
そもそも、道徳と言う字から見るに、まさに徳の道なのである。
辞書では、善悪を見極めて正しい行いをする為に守る規範とある。
つまりは、徳を積む為の行動とでも言うのだろうか。

そして、人には本来備わっている良心というものが存在する。
その自らの良心に従い、周囲に迷惑のかかる言動や行為を
慎み、社会の規範に従い己を律する事こそが道徳的な概念と
言えるのではないだろうかと。
確かにタイトルを読むと、いくつかはうなずける所もあるが
多くは認識が違うようである。まあ、私との違いなのかも
しれないので、判断はおのおのに任せるとしよう。

第二章のイソップ寓話のうさぎとかめの解釈を見るに
うさぎはかめの相手をしないとあるが、これは才能ある
うさぎの慢心により、愚直ながらのかめの努力に破れると
言う話であり、うさぎの慢心を諌め、かめの努力を評価
しているに過ぎない。

また、第三章の原始人に道徳はあったのかとあるが
原始人にも社会性やルールがあり、その多くが単独ではなく
共同生活が営まれていた。そこには道徳はあったと言えるだろう。
でなければ、常に争いが起こり、秩序が乱れてしまうからである。
それは猿のコロニーにも見られ、厳しい環境を生き抜く智恵
でもあり、また、子孫を効率よく残す技でもあるのである。
また、勤勉や勤労が道徳なのは、いったい誰のためなのか
とあるが、それは自分の為と家族の為なのである。
勤勉する事で、頭脳が明晰となり、いい会社や地位につく。
勤労する事で、会社での地位の向上と給与アップが図れ
家族に潤いをもたらすと言えるだろう。

第四章の道徳は自分で作るとあるが、これはある種正しい所と
間違っている所がある。それは善悪の判断と良心に関しては
ほぼ決まっている。社会性に関しても法律を守る事は
その国で平穏に暮らすには必要最低限の事であろう。
自分で選択出きる事は、徳をどのようにして積むかである。
これは他者から強要される事ではなく自発的なものである。
であるなら自分流にアレンジする事が出来るだろう。

まあ、何とも彼の言いたい事は理解出来た。
しかし、その多くの解釈が何ともなのである。
まず、善行などのいい事をするのは、他人の為でなく自分の為なのである。
これは、「情けは人の為ならず」のことわざにもある通り
自分の為なのである。確かに欲望的に行う善行はある種危険である。
しかし、私はそれでもしないよりはいいと思っている。
そうして、愛が育てばいいのである。
まず、行動せよ。そして、愛を持って接せよ。である。

彼の文章の中には、自分流と言う概念が強く出ている。
自分で考える力や判断する力、そして周囲に流されずに
自分流を貫く事が出来るようになる事。
確かにこれも、ある意味正しいのだが、自分流を貫くと
協調性やら親和性が失われてしまう可能性もある。
村社会の日本では、出る杭は打たれてしまう。
私も子供の時からかなり浮いた存在であったので
よく理解出来るが、なるたけ目立たないように過ごしてきた。
それは、自分を守る為でもあり、周囲を観察し溶け込む
為でもある。小魚や小動物はそうして群れの中で
自らの存在を隠して生き残る戦略なのである。

なので、自分流を貫ける人は元来心が強い人である。
多くの日本人は目立つ事を嫌う。そこが芸能人となった
彼とは決定的に違うのであろう。

道徳とは。つまりは、良心と善悪の判断と社会規範である。
その行動に愛が加われば多くの徳を積む事が出来るだろう。
そして、その徳は自らを助ける糧となる事を私は体感している。
全てを悟ったお釈迦様ですら、競って徳を積む訳なのだから。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

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