導かれし者達へ。

明日より、和海ブログの読者の方が四国遍路修行に入るようなので
本日は、そんな縁を感じて導かれし者達へメッセージを残しておく。
まず、このブログへとやってこられる方もある意味縁と言えよう。
それは、このブログが何処にも宣伝やら登録やらをしていない
非常に閉鎖されたブログであると言う事である。
特定のキーワードでしか、たどり着く事が出来ない訳である。
しかし、その特定のキーワードが重要であり、求める者には与えられる
と言う構造になっているようである。

また、書いている本人が変わり者ゆえ、好き嫌いもあるだろうか。
まあ、それは一見さんはお断りではないが、縁は魂の引き合い
みたいな感があるので、前世等に私と関わりのあった方でないと
難しいのかも知れない。私の方は数々の前世でも、本質的には
あまり変わってないようなので、言い回しやら、言葉の癖などの
フレーズはあまり変わっていないようではある。
おそらくそんなフレーズに反応が出る方こそが縁なのだと思われる。

そして、本質的には他力本願ではなく、常に自力本願である。
まあ、神様にお任せの所は帰依全托なのだが、人生のプレーヤーは
常に自分であるとの理念は変わらないと言えよう。
何故なら、自由意志がなければ人生が面白くないではないか。
何でも自分の思い通りになったら、人生が相当につまらないものに
なってしまうだろう。それでは成長も出来ず愛も理解出来ない。
だからこそ、人は人生で悩み、怒り、もがき、苦しみ。
また、楽しみ、努力し、愛する訳である。
全ては神なる愛を理解するために。

人は今しか生きられない。
即ち、過去や未来に生きている訳ではなく常に今を生きている。
今を重ねると過去になり、今に種を蒔くからこそ未来に育つ訳である。
だからこそ、今歩いている己の道をただ只管に歩く事こそが最良であり
その道こそが、縁により導きを受けた道と言えよう。
例え、その道が茨の道であろうが、平坦な道であろうが、山を登る事を
あきらめない限り、やがては山の頂が見えてこよう。

しかし、忘れてはならない事が一つある。
貴方は常に一人ではないのである。
「同行二人」常に貴方を見守る存在が傍らに居る事を。
苦しい時であればあるこそ、貴方と共に歩く存在に
心を傾ける必要があるだろう。
目には見えないながらも、縁によりて強く結ばれた存在が
貴方を守護しているのだから。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

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