先日の記事の続きである。
作家の立花氏の番組であったが、NHKで放送していた「臨死体験」と
言う事で、私なりの考証を書いて見るとする。
まあ、正確な事は自らが死ねば理解出来るのだから、その時にでも
この記事を思い出して頂ければ良いだろうか。
なので、全て私の私見であるのでご注意下さい。
そう、信じるか信じないかは貴方次第です。
まず始めに、人は肉体であるのか霊魂であるのか。
と言う議論があるだろう。肉体は見る事や触れるが出来るが
霊魂は見えず触れずであり、あるかどうかすらも認識出来ない。
おのずと人は目に見えるものを信じる癖があるので
肉体、つまりは脳や心臓に意思が宿ると思っている。
確かに記憶を司るのは脳であり、心臓も記憶すると言われている。
どちらも人間の活動には無くてはならない臓器である。
しかし、それでは前世を思い出す事など出来やしない。
脳の作り出した擬似記憶であるのか。
しかしそれでは、世界各地で起こっている前世の記憶を
持つと言う現象は説明出来ないであろうか。
アメリカの子供のケースでは、確か大学の教授か心理学者が検証し
昔の資料を調べて本当にあったケースとして認識されている。
ならば、肉体意外に記憶を有する事が
出来る何かが存在すると言う事ではないだろうか。
まあ、それが魂の記憶であるのだが。
パソコンに置き換えると説明がかなり楽であろうか。
パソコンはソフトとハードの二種類で動かす。
動力は電気であり、モニター、本体、キーボード、マウスで動かす。
実に、これが人で例える肉体である。
しかし、それだけでは動かない。ソフトやOSと言ったプログラムの
集積が必要で、プログラムはマシン言語で書かれている。
磁気記憶媒体や光記憶媒体に保存されているプログラムを
本体にインストールしなければ動かないのである。
これが人で言うところの魂であるだろう。
プログラムも見えないし、触る事も出来ない存在である。
しかし、その電子文字の集積がなければ動かす事が出来ないのである。
肉体における魂も同じ存在であろうか。
魂というプログラムが肉体と言うハードウェアー(器)にインストールされ
人として動く事が出来るのである。
私の捉える感覚としては、肉体の何処と言うよりも体全体にと
言う感覚であり、丁度、肉体と言う器に水をいっぱいに注がれ
蓋をされていると言った感覚であろうか。
その中の水そのものが魂と言う感覚である。
心臓や脳と言う部位だけでなく、体全体にという感じであろうか。
次に続く。
ありがとうございます。
感謝。
和海。