この世の存在とは。

いつもながら、楽しく拝見しているブログ記事で
なかなかに面白い記事が投降されていた。
それは「この世の存在」についてである。何とも哲学的課題であり
とても触発されたので、本日はこの記事に関して書いてみようと思う。

まず、簡単に私の結論を言えば。
自分の指で額の真ん中を「パチン」叩いて見ると良いだろう。
所謂、でこぴんである。どんな感想であるだろうか。
普通に弾けば、痛いであろうか。それが実在である。
頭でっかちになり、難しい講釈を鵜呑みにして、解りもしない事を
あれこれと考えるよりも生むが安であるだろうか。
存在していなければ痛くはないだろう。

インドの教えには様々な教えや考え哲学があり、およそ我々が
考えうる事など全て考え尽くされている。
その教えの中では、この世は「マーヤ」つまりは幻想であると
語られている。夢幻であるので、存在し得ない事になるだろう。
そして、シャンカラと言う聖者により、不二一元論つまりは
アドヴァイタヴァーダの教えにより、宇宙の根本原理「ブラフマン」
のみが唯一存在する世界であると説いている。
同じ事を言っているので、ブログの作者の言っている事に
間違いはないであるが、そんな難しい事を言っていても
日本人として生活している上では、まったく意味を成さない。

おそらくインド人に同じ事を言っても「ああそうだね。」と
言われ、「だから何」と言われてしまうだろう。
彼らに取っては、この世はマーヤなのは当たり前の事であり
さして、取り合うような事ではない。
それよりも、日々の暮らしの中で、より霊性を向上させる事に
主眼に置き、実践する事のみに集中している。
何故なら、彼らは神や師や祖先が、如何に霊性の向上を
望んでいるのかを知っているからである。

確かに多くの日本人はこの事実を知らない。
しかし、有名な般若心経のお経の中にも登場する
「色即是空、空即是色」と言う言葉の中にもある通り、確実に
日本にも素晴らしい教えがインドより伝わって来ている。

また、織田信長が舞った「敦盛」の中にも
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。」と
ある通り、かなり有名な言葉として歴史に残っている。

まあ、何とするかは己しだいなのだが、今現在を一生懸命に
生きれば良く、霊性を向上させる為に努力すれば良いと言う事だろう
と思う。我々には今しかないのだから。
そして、存在の概念も空の概念も不二一元論も、山の頂に到達しさえ
すれば、見晴らしも実に良く、全てを理解する事だろう。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

この世の存在とは。」への2件のフィードバック

  1. こんにちは。巫女たんさん。
    確かにこの問題はかなり根が深いようですね。
    彼の国では、キリスト教すらも自国発祥と称している訳で
    贈呈された、マリア像すらにも乳出しチマチョゴリを
    着せている始末。流石にこれでは法王もあきれて
    いるのだと思います。

    ありがとうございます。
    感謝。

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