かつて、スーパーマンと言えばアメコミのヒーローの象徴であり
男らしさや、強さと言ったシンボルであったのだが
どうも、最近の毛色は違ったようである。
何と、今度の新作である、クラーク・ケントの息子の新スーパーマンは
バイセクシャルと言う事で、ノーマルな考えの持ち主では無いようである。
バイセクシャルとは、男性と女性の両方を性的に愛する事が出来るという
もののようだが、そんなスーパーマンの姿を誰が見たいのかと。
まあ、日本でもおっさんずラブと言うホモセクシャルのドラマが
女子受けしたようだが、本来女子受けするボーイズラブはもっと
きれいな男の子同士が対象ではなかったかと。
女子には受けたようだが、男性にはホント気持ち悪いの一言である。
男性だからとか女性だからとかでなく、生理的に無理なのである。
それが本能なのではなかろうかと。
確かに男性が男性を憧れると言った感覚はあると思うが
それが性的でとなると話が違うのである。
元々、LGBTを宣伝するのは本来持っている本能的な性質を弱体化したい
思惑があるのだろうと思われ、男性の権威を失墜させて行きたいと
言う思惑があるようである。歴史的に見ても女性の君主は国を滅ぼすと
言う事がすでに解っている。まあ、これも男性だから大丈夫だとは
言い難いが、いざと言う時に決断出来ない優柔不断さが国を危うく
する事となるのである。
鉄の女と言われたサッチャーも日本では評価は高いがイギリスでは
散々であり、また同じくドイツのメルケルもしかりである。
また、ニュージーランドも女性大統領となった折から中共に支配されて
しまったようであり現在も継続中であるようだ。
まあ、スーパーマンがバイだろうとゲイだろうと何でもいいのだが
其の裏にどんな意図が隠れているかが問題なのである。
また、彼らは権利を認めろというのだが、全ての国民がゲイやレズになったら
その国は滅ぶのである。つまりはそう言う事なのである。
自分達の自由と権利を叫べば叫ぶ程に国の存亡が危うくなるのが
彼らの活動なのである。そして、権利を主張する限りは逆側の権利も
発生するのであり、ノーマルな人達の生活を脅かす事となり
最後は多数決と言う民主主義の元で多数決によって禁止になってしまうのが
落ちなのである。だからこそ、おとなしくひっそりとするのが
得策なのではなかろうかと。
ありがとうございます。
感謝。
和海。