死の恐怖を和らげる4つの方法だそうだ③終。

最後に和海の見解を書いて見るとする。
死に恐怖感を持つのは人の本能なれど、それは人間の本質を
知らぬ者なのである。まあ、それでも多くの者が人の本質を
知らないのも事実なので、その辺りを少し書いて置こうかと。

まあ、このブログでクレームを入れてくる方は居ないと
思うのだが、あくまでも私の私見でありそれが真実やら事実だと
証明する事は無いのであしからずである。
このブログは私の日記なのであり文句を言われる筋合いは
初めから無いのであり、自由に書いているのである。

まず、人は何度も転生している。
これは事実である。それこそ、何千何万のレベルである。
多くの人生を経験して魂にその時の記憶を保存しているのである。
しかし、それほどに転生しているにも関わらず、愛の獲得は
成されずにいて、多くの方は現在もその転生の最中であろうかと。
そして、転生の目的であり、人生の目的こそが愛の獲得なのである。
愛はエネルギーであり、神の根源であり愛こそが神そのものである。
なので、多くの人が認識している愛は本来の愛ではなく
疑似的な愛なのである。親子愛、夫婦愛、友人愛、隣人愛などは
本来の神なる愛では無く、類似的な愛と言う事なのである。
しかしながら、そこに感謝があればこそ真なる愛へと近づくのである。
愛の話はかなり難しいので次の機会にでも話すとしよう。
少し話がそれたので元に戻すとしよう。

人は何度も転生している。私は多くの前世の記憶があるので
もはや、死すらも超越していると言えるのだが
そんな大層な話ではなく、誰だって何度も死んで生まれてを
これだけ繰り返していれば死への恐怖など無くなると言うものである。
また、今生における自分の役割や仕事に関してもある程度は
理解しているので、その仕事が終わるまでは死にたくとも
死ねる事はないのである。そんな感じである。
なので、多くの人達がもし自分の前世の記憶が残っていたなら
きっと同じ感覚になるに違いないのである。
バーチャルゲームでの死に沸きに等しいと思うのである。
これはゲーム内で一度死んで新たに沸きなおす行為。
それ位に転生しているのである。

インドでは体はマンディール(寺院)であり、その中に
安置されているのが魂である神様の分霊体と言うのが
教えの中にあるのである。なので、全ての人の体の中には
神様の分霊体が入っているのである。
そして、その分霊体は何度も器を変えて転生していて
人生の様々な経験を通して愛と言う究極的なエネルギーを
獲得するまで輪廻は続くと言う具合であろうかと。
なので、死と言う概念は肉体の死であり魂の死ではないのである。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください