3回目の本日は、「宗教とは?ガイドブックである。」に関して
書いてみたいと思います。
皆さんは宗教の目的を考えた事があるでしょうか?
本来、宗教とは教えを受ける人の集まりの事である。
では、その教えを受けた先の目的は何になるのでしょうか?
宗教的に言いますと、悟りを目指す事?解脱をする事?
何のこっちゃ!ですよね。
また、お友達や仲間を作りに行く。自分の悩みを聞いてもらう為。
理由は人それぞれでしょう。
何かしらの教えである限りは、何かを理解し会得する事が当面の
目的となるでしょう。または、理解し知恵が神仏の智慧となるように
学習する事なのだと思います。
自分の信じる神様に関しての知識や教えを理解するための集団
と言う位置づけではないでしょうか?
礼儀作法やら仕来りやら多くの知恵が学べます。
そして、先人の方々の教えも加わる事で、一人で学ぶよりも
効率的に教えを学ぶ事が出来ると言えます。
確かに昔のような情報があまり入ってこない時代でしたら
それが一番の早道であり唯一の道でもあります。
しかし、現在のネットや情報社会では自宅に居ながらにして
様々な情報を閲覧する事ができ、街や県立の図書館に行けば
多くの蔵書を無料で見る事が出来るでしょう。
街の本屋さんには多くの蔵書が並び、情報の選択に迷うほどです。
学びに困る事はありません。
もし貴方が神官や僧侶になる方であれば、迷わずにその道に
入る方がいいでしょう。専門教育とはそのようなものです。
しかし、在家の信徒であるのなら十分学ぶ事が出来るでしょう。
どこの宗教でも教義より実践が重視されます。
それは、経験こそが人を育て、霊性の向上には欠かす事が出来ないからです。
では、宗教団体に入らなくては霊性が向上出来ないのか?
いえいえ。そんな事はありません。
山に例えるなら(毎度ですいません。)宗教とはガイドブックのような
存在であり、教祖や先生はガイドさんと同じです。
山に入る前には様々な準備が必要になります。持ち物から心構え。
登山前のトレーニングも必要です。高い山なら高度順応も必要です。
ガイドブックがあれば、山に必要な知識が全て書かれています。
そして、登山当日にはガイドさんと登れて安心です。
実際に先達さんと言って修行の山に入る時には熟達した経験者が先頭に立ち
集団を指導して引っ張るものです。
それと同じで見知らぬ土地(教え)のガイドとなるのです。
しかし、一番重要な事は山を登るのは本人の足だと言う事です。
一歩一歩の歩みを重ねる事で、山の頂へと登って行くのです。
ガイドブックをいくら眺めていても、山を登った事にはなりません。
また、一緒に登ると言うだけで代わりに登ってくれる訳ではありません。
貴方にとってそのような存在である訳です。
最終的に信頼出来るのは、自分の二つの足だけであり体力と精神力なのです。
諦めない心があれば、歩みは遅くとも必ず到達するのです。
その高き頂きに。
ありがとうございます。
感謝。