4月8日はお花祭り。お釈迦様の誕生日であった。
そこで、尊きお釈迦様にちなみ。菩薩行に関して書いてみました。
ダイヤモンド。
金剛石とも言うが、人は心の中に金剛石を有している。
だからこそ、そのダイヤを削り磨き輝くまで研磨する事が
人生の修行なのである。
では、硬いダイヤを磨く為には何が必要なのか?
通常ダイヤモンドは同じ硬度のダイヤで磨かなくては削る事は出来ない。
善や悪と呼ばれるものの意味。これがその答えと言えるだろうか。
当然にして、その善なる心を磨く為には、多くの悪が必要となる。
そうして、お互いに切磋琢磨する事で磨かれ輝きを放つ。
当然にして、輝きを放つようになれば、もう磨きは必要が無くなり。
自然と悪が離れていく。これは危険と捉えてもいいだろうか。
ヨガの修行者は最終的に野獣蠢く森に入る。
しかし、そのヨガ行者を襲い傷つけるような野獣はいない。
これは、光と闇の関係と良く似ている。
光が増せば闇は退く。どんな暗闇でも太陽の光が差込めば明るくなり
朝がやってくるものだ。
しかしながら、明るすぎる光には常に影が出来るものでもある。
そのように、光と闇はつきつ離れつの関係なのである。
人も同じく、この世には善意や悪意が存在する。
インドの概念では、現在はカリユガ期に辺りこの世の70%は悪と言う。
だからこそ、非常に金剛石が磨かれ輝きやすい時代であると言う。
何せ、回りの大半は悪であるのだから。まさに磨かれ放題である。
当然にして、この社会では理不尽な事が多いだろう。
義はなされず。善意は廃れ。だからこそ人々はいがみ合い。争う。
しかして、それも世の定め。カルマの如く回転している。
所詮は、度々の詰まりまで行かなければ逆転などしやしない。
やがて、その時が訪れる事になるのだろう。
であるなら、我々は何とする。
我々に出来る事は、常に霊性の向上に努め、心の中にあると言う
金剛石を磨き上げる事こそが、この世の課題であるのだろう。
カリユガ期の世で貴方がもし、輝きを放つ事が出来るのなら
悪は貴方の元から去ってゆくだろう。
何故なら、光と闇は相容れない存在であるのだらか。
そして、闇すらも超越し心に受け入れる事が出来たなら。
貴方は、尊き菩薩となって。暗闇に灯明を照らし
人々を導く存在となるだろう。
ありがとうございます。
感謝。
和海。