運命考察②。

12日も何事も無く終了と相成るようである。
しかしながら、急きょブログを書き上げて眠りについた辺りで
茨城沖の地震があったようで、下総もそこそこ揺れていた。
私は夢心地で寝ぼけていたので、起こされはしたのだが
朝起きると夢のような感じさえしていた。
まあ、何事も無いのに越したことはないので筑波ゆきにも
意味があったのかと思う事にする。

二回目の本日は運命に関して霊性の向上的な観点から書いて見たいと思う。
先日は一般的な方法を書いて行ったのだが、今回は全くそのアプローチが
異なる。ですので、あまり参考にはならないと思われるが
こんな方法もあるのだと言う認識にはなるであろうか。
霊性の観点から運命を見ると、大きな大河のようであると思われる。
山から流れ海に注ぐ、川の流れは一定でよどみなく流れている。
船を浮かべれば、やがては海に流れつくと言った感じか。
流れに逆らうには、船にモータが必要で人力で漕いでも
やがては流れに負けて押し戻される事になる。そんな認識か。
しかし、船に櫂があるなら、自由に船の方向は変える事が出来るし
最悪の場合は岸に船を寄せて川から上がる事が出来るのも
船の特徴だろうか。

人に例えるなら、生まれてから死ぬまでの人の運命には
逆らう事は出来ないが、その方向性や岸に上がり流れを止める事は出来ると
言う事であろうか。しかし、方向をコントロールするにも岩礁やら
浅瀬があり、船の操縦には注意力や技術が必要であるのと同じく
ただ流れに身を任せていればいいと言う訳ではないようだ。
そうして、上手くコントロールし無事に海に辿り着けばそれが寿命であり
船が座礁や沈没せずに進むためには何が必要であるのかと
言う事なのであろうか。まさに船の操縦法のような事なのであろうか。
これぞ、インドの聖典「バカバッド・ギータ」なのであろうかと。
話が長くなりそうなので、要点を上げて見る事にする。

まずは、川の流れを理解する事である。
確実に人は死ぬ訳であり、時間の長短には関係が無い。
しかし、肉体の死が人の死では無いと言う事であり魂は不滅なのである。
つまりは、広義の上では「人は死なない」と言う事である。

次に運命は変えられるが、流れは変わらない。その方向性が変わるだけである。
つまりは、死を変える事は出来ないが、時期は変えられると言う事である。
それは癌でも、その治療法で延命率が変わると言う事と同じである。

流れには逆らわずに受け入れる事。受け入れる事で用意に流れを支配出来る。
つまりは、方向性を自らがコントロールする事が出来るようになる。

人生を楽しむ事。流れに身を任しながら全身で運命を満喫する事である。
これはかなり重要で、満喫し満足し感謝するなら大いなる存在が動く事がある。
人は充実や充足感に満たされると、悔いが残らず満足できる。
満足できればいつ死んでも悔いがなくなり、逆に死ななくなる傾向にある。
神様に見ていたいと思わせれば勝ちであると言う事か
別の役が与えられ、延命がはかられる事となるようだ。
難しい話をすると、光と闇のエネルギーの違いなんてのもあるのだが
説明が面倒なので次の機会とする。

まあ、要は案外簡単であり難しくもあるのだが
自分の運命を全て受け入れ、満足し感謝し充実した人生を謳歌する事。
この事に尽きるだろうか。もとより、満足していればいつ死んでも悔いは無い。
そこから、死と言う概念すらも関係がなくなる(意識しなくなる)訳であり
生まれた限りにはいつ死んでも可笑しくなく。
毎日を充実した人生を贈れば良いと言う事になる。
確かに死を意識しないと回避出来ない。しかし、まったく意識しなければ
同じように死が遠ざかると言う訳なのである。
インドのヨガ行者「カリアッパ氏」によると
断崖絶壁を歩く時に落ちる事をイメージするからこそ人は落ちてしまうようで
まったくイメージしなければ決して落ちる事はないそうだ。
まさに、ある意味運命の操縦は人が行っていると言う事であろうか。

まさに、意識と無意識の境界に人は立っているようだ。
「中道」とは人の事なのであろう。

ありがとうございます。
感謝。
和海。

運命考察②。」への4件のフィードバック

  1. 和海さま、おはようございます。

    本日早朝、横浜で赤い光を見たという話を聞きました。関東地域だけでしょうか?

  2. こんばんは。巫女たんさん。

    赤い光ですか。
    調べて見ると18時30分あたりに
    関東地方で隕石が見えたようですね。
    UFO目撃情報にかなりコメントが
    寄せられているようです。

    ありがとうございます。
    感謝。

  3. 和海さんこんにちは。台風の被害が大きいようですが、大丈夫だったでしょうか?こちらも警報がでて雨がひどかったですがなんとか無事に過ごさせていただきました。

    運命のお話、なるほどと思いながら読ませていただきました。
    そうですね、私もやっと最近、受け入れるということが大切なのかなと感じてきました。自分自身の能力や容姿、人間関係・・・。分を知る、というとちょっと否定的なイメージをもたれるかもしれませんが、己を良く知り受け入れたうえで、心穏やかに充実した生き方を選択していく。それができていけばまた、他の人のことも尊重でき、和の心に近づいていけるのではないかなぁと思いました。

  4. こんばんは。乙亀さん。
    下総も各所で水害が出ているようですが
    私の住まう場所は大丈夫だったようです。
    しかし、成田に被害があったのは、やはり何かが
    あるのだと思います。

    そうですね。大日経では「さとり」とは
    己を悉く知る事と言われています。
    そして、大自然は受け入れるしかありません。

    また、和するとは、まずは自らが和とならなければ
    他者を和する事など不可能と言えるでしょう。
    己を和するとは、己の心と行動を調和させる事です。
    であるなら、全てを受け入れるしかありません。

    分を知る。なかなかにいい答えですね。
    確かにその通りです。
    本来の意味では「分をわきまえよ」とか「出過ぎるな」
    になるのでしょうけど。
    元々は老子の「足るを知る」に繋がります。
    そして、それは「本分」や「天分」を知る事に繋がります。
    つまりは「本来尽くすべき務め」や「天から与えられた才能」
    を意味していて、それを知った上で水のように生きなさい。
    「上善水若」と言っているのだと思います。
    ありのままに生きれば良いのです。

    だからこそ、その姿は美しくもある訳です。
    敬虔に神に祈る姿は誰でも美しいものです。
    そこに容姿は関係ありません。
    その人の心が素直に現れるからです。

    乙亀さんにはまた、いい刺激を与えて頂いたようです。
    ありがとうございます。
    感謝。

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