昨日、3か月以上も前に100円で買った本を何気に読んでみた。
興味があって買ったのだが、ずっと積っぱなしで読んでいなかった。
ふっと本でも読むかと言う気持ちになり読んでみると驚いた。
すでに自力で解決はしているのだが、かなり重要な情報がこの本の中に
さらっと書いてあり、なるほどと思ったものだ。
私にはかなり重要な情報で目からうろこであった訳なのだが
すでにいくつかのサインを頂いていたので何とか自力でクリアーした。
そして、クリアーした後だからこそ解るそのサインの素晴らしさ。
神なるサインとは、幾重にも張り巡らされ、その人のレベルに合わせて
確実に導かれるもののようである。私はたまたま自力で学習出来たに過ぎず
もし、自力でのクリアーが困難な為の場合にも用意してあったようである。
確かにそのタイミングも素晴らしく、今回はたまたま受け取れた訳だが
例え外した所とて、次なるサインが待っていた事に感動すら覚えた訳だ。
チベットには埋蔵経典と言うものがあり、しかるべき時に定めを帯びた発掘者が
新たな経典を発掘すると言う事もあるようで、また、本も何度も読んでいるうちに
その時やタイミング、読み手のレベルに合わせた答えが解ると言う事もある。
まさに、神なるサインとは幾重にも積み重ねられた印であり
例え通り過ぎたとしても、確実に答えに導く事になるのである。
もし、その本を買ってすぐに読んでいたら同じ答えに行き着いただろうか?
答えはNOである。その時はまだそこまでの意識は芽生えていない。
ならば、その本を買ってから3か月以上も読まなかった事も理解出来る。
確かに今はインターネットの検索で多くの事が理解出来る時代だ。
しかしながら、今回のような事は決して理解出来ないだろう。
自ら選び、購入し、読む時を待ち、自らの理解を深める。
まさに、理解を深めた後に見せる為のようである。
本当に神の恩寵とは素晴らしいもので、まさに愛の奇跡と言えよう。
そして、この文章も誰かの為に書かされている文章なのかもしれない。
ひとつ。先達として言える事は
「求める者は確実に導かれる」と言う事である。
まさに「求めよ!さらば与えられん!」なのだろう。
確かにサインに気づく事は大切であろう、しかし気づかずとも確実に導かれる。
それが神の恩寵(愛)なのだろう。
ありがとうございます。
感謝。
和海。